「賢い」とは何かを考えてみた

勉強
昔は、賢い=ガリ勉みたいなイメージありました。もちろんまじめなのは悪いことではないと思います。

そもそも賢いとは

 皆さん、勉強ってされてますか?僕は恥ずかしながらついこの間まで全然してませんでした。

 ですがこれまでの経験で実は大切なんじゃないかと思うようになりました。なぜ勉強が大切なのかを自分なりに考察した記事もあるのでよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

 勉強って大事なのか?について考えてみます。

 今日はその勉強の先にある賢さについて考えてみようと思います。

「賢い」とは

 これはあくまで僕の意見ですが賢さとはこういったものじゃないかと思っています。

  • 人の話に耳を傾ける
  • 感情が穏やか
  • 話が面白い

 これ以外にもさまざまあるのですがひとまず、この三つに絞ります。

 順に解説していきたいと思います。

人の話に耳を傾ける

 一つ目は「人の話に耳を傾ける」です。これは人の話をちゃんと聴く、と言い換えてもいいかもしれません。

 これは僕と仲良くしてくださっているお医者さんのお話なのですが、その方は医学以外にも歴史や文化など本当に幅広い知識を持ってらっしゃって僕が本当に聡明で賢い方だな、と最も尊敬している方の一人です。

 この方の話は本当に詳しくないとできないような深い話が多いので正直難しいと感じることも少なくありません。

 そんなときに僕が質問をしてもわかりやすく教えてくれます。詳しい人ですと「なぜこんなこともわからないのだろう」となるかもしれないような質問でもです。

 そのたびに僕は「この人は自分の話を聞いてくれてるんだな」と思い勝手にうれしくなります。

 賢い人というのはおそらく、自分以外の他者全員から何か学ぶことができると思っているんじゃないかと思います。だからこそ他者の話には耳を傾ける価値があると考えているように思います。

 というわけで一つ目は「人の話に耳を傾ける」でした。

感情が穏やか

 続いては「感情が穏やか」ということです。こちらはわかりやすいかもしれません。単純な話、感情的になっている人ってどうしても怖いイメージがつきます。

 些細なことでイラついたり、怒ったりしてしまう人はどうしても周りから人が離れていく気がします。

 先ほど紹介したように賢い人というのは人の話を聴きます。ということは、他者の意見というものがあってそれが自分と食い違うことがある。というのを自身の経験として理解しています。それゆえに人と意見が違っても「あなたはそう思うんですね。」で済ませることができます。

 人と意見が食い違ったときに感情的になってしまう人は自分の意見が正しいと思い込みすぎてしまうため相手の言ってることがどうしても間違っているように聞こえてしまい結果「なぜ自分の意見が理解されないのか」と思ってしまいます。

 そういった意味で賢い人というのは感情の起伏が表に出ない人なのではないかと思います。

話が面白い

 最後は「話が面白い」です。

 人を笑わせるという意味ではないです。もちろんそれも一種の面白さだと思いますがそれでいうとお笑い芸人さんが賢くてそれ以外は賢くないとなってしまいますが、芸人さん以外でも話が面白い人はたくさんいます。

 僕は僕の知っていること以外の話を聴くのが好きなのですが、自分の知らないことの話というのは知識がない分、聞いててもわからない、面白くないとなりかねません。

 ですがこれを賢い人が話していると聴いてて面白いと思える話になります。

 つまり、自分の好きなものの話だからといって独りよがりにしゃべるのではなく相手の目線にも立って、且つ、面白さも伝わる話し方をできるというのは賢くないとなかなか難しいと思います。

 少なくとも僕は羽場氏が面白いと感じたらその人は賢いなと思います。

番外編

 最後にこれは条件として入れるべきか迷ったのですが「本を読む」というのも一つ大きな要素かもしれません。

 僕の肌感覚ですが本を読んでる人が全員賢いというわけではないけど賢い人は本を読んでいる、もしくは本を読むのを苦に感じていない、みたいな感じですかね。

 鴨川会長の名言っぽい感じですね…!

 最後に

 以上、僕の思う賢いとは何か、でした。

 小さいころドラクエの賢者って職業を見て攻撃も回復もできる魔法使いのことを賢者だと思い勝手に憧れていました。(笑)

 賢い人にあこがれているという意味ではあの頃とあまり変わっていませんね( ´艸`)

それでは今日はこの辺りで。ありがとうございました。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました