勉強ってそもそも何なのか
今日は勉強ってそもそも何なのかについて自分なりに考察してみようと思います。ここで分かっていてもらいたいのはあくまで僕個人が思っていることなので正解とか不正解はないです。
高校生のころまでは勉強、嫌いでした
学生時代は正直勉強が嫌いでした。公式覚えたり英単語とか古文単語の意味覚えたり…。
面白いと思えなかったです。
なんですけど22歳の現在勉強をテーマにブログを書いてみようと思う程度には前向きに勉強というものをとらえてます。
勉強の本質は「自問自考」?
結論から申しますと僕が思うに勉強の本質とは「自問自考」なのではないかと思っています。
どういうことかといいますと、日常に当たり前にあるものに問い、疑問を持ちそのうえでそれについてじっくりと考える。これが勉強というのではないかということです。
たとえばリンゴを八つにカットし、Aというお皿にのせたとします。このお皿の上にはリンゴが八つのってます。その隣にカットしていない丸ごとのリンゴが一つのったBというお皿があるとします。八つのリンゴの一つをBに移したとするとBというお皿にリンゴは二つのっているといえるでしょうか。
ある程度算数ができる方にとってみるとだいぶ違和感のある例だったかもしれません。というか、こんな事わざわざ考えないと思います。
ちょっと極端な言い方かもしれませんがこういう風に自分で問いや疑問を見つけること、そしてそれについて自分なりにまず考える、これが勉強の本質ではないかと考えています。
ただ、もう一つの面もある
ただし、勉強というものにはもう一つの側面があります。こちらは共感してもらいやすいんじゃないかと思いますが、それは社会的な評価です。いわゆる学歴とか偏差値とかみたいなやつですね。
この社会ではそこまで深い関係性ではないけど生きていくうえで付き合いが必要、みたいなことが多くありますよね。就活生と起業の関係性とかすごくいい例かと思います。
企業からすれば大勢の志望者がいるので一人一人の人間性とか性格を見る余裕はないと思います。そこで見るのが学歴や大学の偏差値です。
こちらを満たそうと思えば、ぶっちゃけ自問自考とか言ってる場合じゃないです。公式も覚えないといけませんし英単語とか覚えないといけません。
僕は二つとも大切な要素だと思います。自問自考をしていくことで勉強を楽しいと思えると多分生活が豊かになり、人生を楽しむことができますし、偏差値を上げることで社会的評価は比例して上がります。
どっちがとかではなくぼくは二つをバランスよく力を育むことが大切なのかなと思います。もちろん、その人の目標や置かれている環境によってそのバランスは変わってくると思います。
僕もこれから勉強を頑張りたいと思っているので僕なりの考えを記しておこうと思いました。
それでは今日はこの辺りで。ありがとうございました。
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